人間関係における基本法則の1つ ”win-win or No Deal”

「双方win-winな関係」

よく言われることですが、これ超重要な基本原則だと思います。

 

商業的な意味合いのイメージがありますが、

人間関係においてほとんどの場合に当てはまります。

 

一方的に勝ちすぎると、その場で満足感は得られても

長期的に考えると結局自分にとって不利な状況を作ってしまったり、

その相手との関係は圧倒的勝利に終わったとしても、

それに関わる人や、もっと言えば全く関係ない人であっても、

その圧倒的勝利を観測した人に悪印象を与える可能性もあります。

それは、結局巡り巡って自分に直接的な不利益として降りかかることもあるでしょう。

 

どういった形にせよ、長期目線で考えたときに、

「自分だけ一人勝ち」は避けた方が無難です。

 

また、「一人勝ち」よりも「全員勝ち」の状況を作る方が難易度は高いことが多いでしょう。

「一人勝ち」はある種、そういった難易度の高い挑戦からの逃げとも言えます。

 

 

そして何より、「全員勝ち」はみんなハッピーです。

当たり前のことですが、これこそ目指すべきゴールと私は思います。

win-winはhappy-happyなのです。

「一人勝ち」「only happy」と比較して、幸福の総量が違います。

利益の最大化を目指すなら、win-winは必須です。

でなければ、誰かが勝てば誰かが負ける、ゼロサムゲームになります。

 

 

私が思う、win-winの状況を作り出すコツとしては、

自分:相手=4win:6winぐらいのイメージでいることです。

 

自分は、

自分:相手=5:5のつもりでも、相手がそう感じるかはわかりません。

価値観はひとそれぞれ。

4:6あるいは相手によっては3:7ぐらいに調整すると、

相手もはっきりと自分の勝利感を得ることができるでしょう。

 

あとは、自分がそれに納得できるかどうか、も大事ですね。

例えば、相手の勝利感を優先して、

2:8や1:9まで自分のwin割合を下げてしまうと、

今度は自分を蔑ろにすることになってしまいます。

 

自分も含めて客観的にwin-winの状況を作り出すことが、

長期的な利益の最大化、幸福総量の最大化に必要と思います。

 

自分が考える、

4:6や3:7を実践しても、相手が納得しないような場合、

そんな人とは関わるべきではありません。

自分の人生に必要のない関係です。

相手がwin-winの観念に基づいて生きていない以上、

こちらからできることはありません。

No Dealってやつですね。

 

馬を水辺に連れて行くことはできても、

水を飲ませることはできない。

 

水を飲むかどうかは馬次第。

 

自分の価値基準がはっきり定まってさえいれば、

割り切るのも容易ですね。

まあ”自分の価値観”というものをよく理解するということそれ自体が難しいことではあるのですが…

 

意識の割り振り・配分調整

子どもが先日ソファの肘掛けから落ちて前頭部を強打した。

 

結論から言えば、表面的な外傷のみで、その他特に異常は認められなかった。

今は元気。ピンピンしてる。

 

が、しかし、再発は防がねばなるまい。

 

 

我が家は賃貸。

床材はおそらく挽き板フローリングで、結構硬い。

 

ゴンッ、と鈍い音が響いて、続けて泣き声。

「あぁ、やばい。」

すぐに駆け寄る。

妻が抱き起こす。

 

おでこに大きなたんこぶが既にできかけている。

 

泣いている。

 

 

しかし、まだ泣いていてよかった。

本当にやばいのは意識を失うケース。

 

抱きかかえて落ち着かせるのは妻に任せて、

「子ども 頭を打った」でGoogle検索。

 

・意識

・嘔吐

・様子がおかしい

・ぶつけた部位の状態

 

などなど、チェック項目を確認して、

重篤な所見なし。

 

ソファからの転落が午前中。

買い物に出かける予定だったが、自宅で安静に切り替え。

 

5分ほどで落ち着き、ケロッといつも通り。

走り回ったり、登ったり、踊ったりしていたが、

極力動きを制限して、安静に。

 

いつも通り、14時頃から2時間ほど昼寝。

昼寝中も定期的に呼吸の確認。

すやすや。かわいい。

 

 

その後も夕食を問題なく平らげ、風呂も入り、

いつも通りぐずってから就寝。

 

 

翌日以降も体調の変化なく、すでに2週間近く経過しました。

よかった。

おでこにはたんこぶができた後、青たんになり、黄色くなってほとんど目立たなくなりました。

 

 

 

さて、なぜこんなことが起きたのか。

それは、

私も妻もお互いが「私(妻)が子どもを見ているだろう。」と目を離したから

です。

 

時間にしてほんの2〜3秒だったと思います。

バレーボールでいう「お見合い」状態です。

 

まあこのぐらいの子どもなんてみんな突拍子もないことしますから、

どれだけ気にかけていても、落ちる時は落ちるし、転ぶ時は転びます。

 

ケージを用意して行動範囲を完全に制限してしまえば、予防可能かもしれませんが、

そこまでやってしまうと今度は発育の妨げになります。

 

しかし命に関わる重大な事態は避けなければならない。

 

 

少なくとも、今回のケースの責任所在は、妻寄りです。

妻は妻で思うところがあるかもしれませんが…

 

私も妻も子どもも、ソファにいました。

私は洗い物をするためにキッチンに向かいました。

このとき「洗い物するわー」と妻に声をかけ、妻の返事を確認してから

ソファを立ちました。

 

そして私がキッチンに立って、いざ洗い物を始めようとしたところ、

冒頭の「ゴンッ」です。

 

何事かと目をやった先には、

キッチンカウンターに隠れて見えませんでしたが、ソファから子どもの姿はなく、

妻は子どもと反対方向を向いてテーブル上の何かに気をとられていました。

 

 

こういったことはこれが初めてではありませんし、

その後ここ数日の間にも見られました。

 

子どもの怪我にはつながっていませんが、

妻が子どもを見ておらず、別のことに気をとられているのです。

 

断っておきますが、妻は子どもを非常に大切にしています。

ないがしろにする気は一切ありません。

しかし、何かに気をとられると、意識の配分をすべてそちらにもっていかれるのです。

 

おそらく、ADHD(注意欠如多動性障害)気味なのだと思います。

検査はしていませんが、診断が下るほど明確な症状ではありません。

 

が、こんなに大切にしている子どもに関する注意力ですら、

他の本当に些細なことに一度気をとられると、すべてもっていかれます。

 

もちろん、10分20分とか、そんなことはありません。

ものの数分で気づくようなのですが、

こと子どもとなると、ほんの数秒が命取りになる状況もままあります。

 

 

もし、子どもがソファから落ちた際、自分が妻の状況にあったとしたら、

私と妻と子ども3人ともが同じ場所にいるなら、

意識の配分は他のことにある程度割いても問題ないが、

二人とも子どもから目を話す瞬間がないぐらいに留めるでしょう。

子ども:他=6:4ぐらいでしょうか。

 

妻が「洗い物するよ」と聞いたら、

子ども:他=9:1ぐらいに調整します。

このとき、他のことに割く1割の時間も、

子どもがどこで何をしているか常に把握しておけるようにします。

危険な場所にいればもちろん目は離しませんし、

一瞬でも目を離す必要があれば、安全な場所に子どもを移すでしょう。

この場合は、ソファから下ろします。

 

下ろしてしまえば、2〜3秒目を離したとしても、

その間一瞬でソファによじのぼって

一瞬でフローリングにダイブするとは考えにくいでしょう。

 

 

このように、自分の目の前に見えているものに100%意識を割り振ってしまうと、

他のものは見えなくなりますが、

意識的に分配することで、「他のことを気にしながらこれをやる」という

ある種マルチタスク様のことはできます。

 

厳密に言えば、人間の脳はマルチタスク不可能ということらしいですが…

 

 

私はこの意識の割り振り・配分調整が当たり前のことと思って生きてきました。

しかし、これは家庭内だけでなく、むしろみなさんの多くが経験されるのが、

おそらく仕事上で他者と共同作業に取り組む際だと思います。

 

仕事をしていると、「この人なんでこんなことができないんだ?」

というのが、大体これに当てはまります。

 

これは生まれ持ってのものなのか、訓練で後天的に獲得可能なものなのか。

生まれ持って、ってことはなさそうだけど、

「ある程度人生経験を積んできた上で、新たに獲得する」

というのはどうやら難しいようだ、というのが

今のところ私の人生経験上得られた教訓です。

 

 

ちょっと長くなりすぎて内容支離滅裂ですので、一旦これにて。

お金を貯める、増やす!② NISA口座で株を買ってみた

私が楽天証券口座を開設したのは、2020年の2月頃だったと思います。

ちょうどコロナウイルスが蔓延し始めた頃ですね。

 

ちなみに、ほぼ同時期に腰椎椎間板ヘルニアが再発し、とんでもないことになりました。

さらにさらに、ヘルニアが本格化する直前に、前職場近くに引っ越しもしてました。

振り返ってみると、この頃は転機だったのかもしれないですね。

まあその辺りの話はまた機会があれば。

 

 

とりあえず証券口座開設だけしてみよう!

と口座開設したはいいものの、その後しばらく放置していました。

具体的な口座開設方法は、youtubeチャンネル「【投資家】ぽんちよ」さんの動画を参考にしたような、しなかったような…

かなり詳細に説明されているので、ネット手続きなど疎い方でも大丈夫と思います。

 

 

ちなみに、コロナ蔓延し始めは世界的に株価大暴落!

さまざまな株が大きく値を下げましたが、その後、アメリカをはじめとして、経済活性化のための金融政策が打ち出され、市場にお金が大量にばら撒かれました。

そのため、大暴落からの大暴騰!!

ものすごい株価の急騰が起こりましたね。

 

つまり、大暴落時の安値で株を仕込めた人は、その後の急騰でウハウハだったわけですね。

 

まあそんなこと私はつゆ知らず、腰痛と闘っていたわけですが…。

 

口座開設からしばらく経って、確か9月だったと思います。

ちょこちょこ株価チェックだけしていて、そのときたまたまAppleの株価変動を追っていたときでした。

 

「え!?突然半額近くに値下がりしたんだけど!なんで?これチャンスだ!!」

 

とりわけApple信者というわけでもないのですが、iPhoneユーザーであり、

なんとなく

Appleってすごいよね」

「今後も世界を引っ張ってってくれるテクノロジー企業だよね」

というイメージだけ持っていた私は、

株価半額のApple株を、確か30万円ほど購入した記憶があります。

 

当時も、GAFAMは知っていたかな?

株価追っているぐらいだから、お金の大学チャンネルでその辺の基礎知識はあったかもしれません。

 

しかし、

株式分割は知らなかった。

 

株式分割とは、既に発行されている株式について、100株を200株や300株などに分割すること。

既に株式を保有している投資家には、分割した株式が割り当てられるため、

例えば、既に100株持っている状態で、2倍に株式分割された場合は、自動的にその投資家が持っている株は200株になります。

 

株式が増えても会社の価値は変わらないので、株式分割によって変わるのは、基本的に1株あたりの価格だけです。

 

なぜか?

それは、投資家が少ない資金で購入しやすくするため。

単位株あたりの価格が高くなると買いにくくなりますからね。

 

 

さて、私はそんなこと知らずに、

「バーゲンセールやー!」

と飛びついたわけです。

 

その後、株価がぐんぐん伸びて分割前の水準に!

…戻るはずもなく、数日後に気づきます。

「いや、勢いで買ったけど、いきなり半額とかある?」

調べてみて、株式分割を知りました。

 

勉強になった。

 

 

これが初めての株購入でした。

大きな勘違いからスタートしていますが、

この初購入で投資のハードルが下がり、その後も継続して投資していくことになります。

 

結果オーライ。

雨降って地固まる。

 

ということにしておこう。

 

 

お金を貯める、増やす! まずは証券口座開設

私が株式投資を始めたのが、2020年9月頃。

まだ投資歴3年余りのペーペーですが、投資は誰しもが知るべき資産形成方法と思います。

 

元々、株に興味はありました。

学生の頃、親のスネをかじりにかじりまくって、

生活に不自由しないだけの仕送りをもらっておきながら、

それでもやはり、有り余る時間に比べて圧倒的に金が足りない。

 

大学生というモラトリアム期間を存分に満たすだけの財力を備えている人が、

世の中にどれだけいるでしょうか?

 

アルバイトもいくつか経験しました。

居酒屋ホール、キッチン、チラシ配り、家庭教師、個別指導塾講師、

ヤマダ電機Canonのカメラ販売をしていたこともありました。

治験もやりましたね。

 

学生の本分は勉学ですが、勉学の傍ら、生活費の足しにするため(もとい遊ぶ金欲しさ)の活動としてアルバイトは一般的だと思います。

が、そもそも見ず知らずの人とのコミュニケーションが苦手な私は、アルバイトに積極的ではありませんでした。

 

人と会わずに、楽に稼げる方法はないのか……株ってなんかすっごい儲かるギャンブル的なイメージあるな!

うまくいけば一儲けできるんじゃね?

 

そんな激甘な考えから、株式投資について勉強しようかなーと思い続けて、結局学生時代に株に手を出すことはありませんでした。

 

宝くじ当たったら何買う〜?

みたいなこと、誰しも考えたことありますよね?

株についても、そんなイメージ。

当たれば大きいギャンブル、でもリスクもでかい、危ない、みたいな。

 

まあそもそも当時は投資を学んだとて、元手になるような資金もありませんでしたから、あまり意味はなかったかもしれません。

毎月口座残高ゼロになるまで使い切ってましたから!

てかリボ払いしまくってました。

「就職したら余裕で返せるやろ!今使わなくていつ使う!」と。

 

情弱思考そのものですが、まあ結果的には働き始めて3年目頃にはリボ残高も奨学金も親から借りた金もすべて返したので、結果オーライではありましたが。

 

 

で、2020年。

きっかけはなんだったか…

確か、2020年年始に、「今年の目標は!」みたいなことを考えていた時に、

「投資について勉強してみる」

というか、勉強までしなくてもいいから、挫折しないように、まずは軽く検索して株式投資とはなんぞや、ということを調べてみる、的なところから始めよう

と決めたのがきっかけだったかな。

 

毎年「今年は目標を決めるぞー」と考えては、結局何もしない、みたいなことを繰り返していたのですが、

このときは重い腰を上げて、調べ始めたんだったと思います。

 

そこで出会ったのが、youtubeチャンネル「お金の大学」ですね。

起業家?の両学長のチャンネル。

 

ひとまず、証券口座開設は無料だからさっさと口座開設しよー、というすすめを聞いて、

楽天証券口座開設をしたのでした。

 

つづく

 

 

無能の証明

『嫌われる勇気』の続編『幸せになる勇気』に書かれている「無能の証明」。

実生活でも目の当たりにします。

おそらく、みなさんも職場で該当する人がいるのではないでしょうか?

 

 

「無能の証明」とは、「問題行動の5段階」における最終段階です。

 

現代アドラー心理学では、人間の問題行動について、その背後に働く心理を5つの段階に分けて考える。

人間の問題行動は、すべてこのいずれかの段階に該当する。

なるべく早い段階で対策を講じなければならない。

第1段階「賞賛の要求」

第2段階「注目喚起」

第3段階「権力争い」

第4段階「復讐」

第5段階「無能の証明」

 

「賞賛の要求」→褒めてくれ

「注目喚起」→悪いことしてでも注目してほしい

「権力争い」→反抗し、自分の力を示す

 

これでも注目してもらえないとなると、

「復讐」→あえて憎しみを求める「愛してくれないなら憎んででも注目してほしい」

自傷行為や引きこもりもこの「復讐」の一環だという。

 

そして、それでもうまくいかない。

何をやっても注目してもらえない。

自分の存在を認めてもらえない。

 

となったときに、最終段階「無能の証明」。

 

人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分にはなにも解決できないと信じ込むようになる。

そしてこれ以上の絶望を経験しないために、あらゆる課題から逃げ回るようになる。

周囲に対しては、「自分はこれだけ無能なのだから、課題を与えないでくれ。自分にはそれを解決する能力がないのだ。」と表明するようになる。

自分がいかに無能であるか、ありとあらゆる手を使って「証明」しようとする。

課題に取り組もうとする自分、また物事を考えようとする自分に対して、自らブレーキをかける。

そして、ただただ厭世的(※)に課題を拒絶し、周囲からの期待も拒絶するようになる。

※厭世的(えんせいてき):人生や世の中を悲観しており、生きることが嫌になっているさま。人生に価値を見出せず絶望しているさま。

 

 

簡単に言えば、現実逃避。

賞賛も嫌悪も向け続けてもらえないなら、とにかく無気力に、すべてに関与しない。

 

しかも、この無能の証明が面白いのは、「本人は無自覚であることも多いであろう」ということ。

なぜ自分がそう考えるのかわからない。

本当はできるはずのこともあえてできないフリをして、無能である自分を装う。

中途半端にできてしまって、それ以上期待されたり、失望されたりするのが嫌だから。

でも本人は、本当にできないと思ってしまっている。

できないと思わざるを得ないと思ってしまっている。

 

そんなことないのに。

 

 

人間の無意識というか、潜在意識って非常に面白い。

そして、それを自覚できるかどうか、が人間としての生きる力みたいなものに大きな影響を与えてるんじゃないかと思う。

 

自覚というか、「無意識のうちにそう思い込んでしまっている可能性があるよ」ということが常に意識的に展開できているか、ということ。

「無意識を意識しろ」ってことではなくて。

無知の知」的な話。

 

自分がなぜそう感じているのか、自身ですら完全に掌握することは難しい。

しかし、「自身を掌握することが難しい」ということを知るかどうか、それを常に意識できるかどうか、はそんなに難しいことではないのかな、って。

難しいことじゃないなら、知らない人はまあ能力的なものもあるだろうから百歩譲っていいとして、「できない」と思い込んでる人は、どうなのかな、って。

 

 

できるなら、できることやりましょう。

 

 

よくいわれることだけれど、読書はした方がいいよね、という話

私は言うほど本を読みません。

でも、たまに読むと、「あー読んでよかった」と毎度思います。

 

ここでいう”本”は、いわゆる自己啓発本とか、ビジネス書とか、そういう類のものです。

自己啓発本って言うと、なんだか、意識高い系というか、気取ってんなーというか、、、

あまりよくないイメージを抱きます。私だけでしょうか?

ビジネス書って言い方も、うーん、ビジネス、お金稼ぎですか?バリバリ仕事大好き人間用の本?

 

ビジネス書と自己啓発本は同じような意味合いらしいですが、

ビジネス書はビジネス関連の本

その中でも精神的成長や成功のための心構え的な内容の本を自己啓発本

というらしい。

 

しかし、私が、「読書はした方がいいよねー」というのは、

なんとなく、そういうことじゃないんですよね。

 

具体的にどんな本を読むかにももちろんよるのですが、

私が考える、そういった類の本を読む大きなメリットは、

「生きやすさ」

です。

 

 

うーん、これもいまいちピンときません。いい言葉教えてほしい。

自分の気持ちの整理の方法、他者とのコミュニケーションにおけるコツ、などなど、具体的な内容は様々。

それらをビジネスにつなげようと思えば、それは「ビジネス書」なんでしょうが、ビジネスじゃなくたっていいんです。

というか、ビジネスに限定する方が不自然というか、

そういった、根本的な原理原則、物事の本質的なことは、

むしろ、

「自分の人生をいかに豊かにするか」

「幸せに生きるとはどういうことか」

という、もっと広く、人間として生きること自体に深く突き刺さるもの、のように思います。

 

あー、そういう意味では、ジャンルとしては、

「哲学」とか「道徳」とか「倫理」とかそういったところに帰結しますかね。

枝葉の部分として、具体的な手法、テクニック、論理を知ると、結局大元で消化されて、堆積して、自分の根幹を作る礎になっている感じ。

 

 

例えば、月並みでちょっと恥ずかしいですが、

そのぐらい一般的に広く知られた本として、

「嫌われる勇気」

その続編(?)として、

「幸せになる勇気」

は、私の価値観の基礎を構築する大きな要素になりました。

 

外的要因をどう捉えるか、ということもそうですが、

自分という存在そのもの・それ自体をどう捉えるか、

あるいは

外的要因に対する自分自身の反応をどう捉えるか、

といったことに、ひとつの考え方を提示してくれる本です。

 

 

語弊を恐れず、端的に結論だけ言えば、

「みんな自分の好きなように、自分の幸せを生きりゃいい」

ってこと。

 

 

いや、それだけ聞いても実際どうしたら?

っていうのが、数多ある実用書たちなわけです。

 

あ、「実用書」か。私が「読書した方がいいよね」はたぶんこれです。「実用書」。

 

大きな枠で、価値観を研ぎながら、詰めながら、固めながら、ときには解いたり、こねたり、ふわふわっとしてみたり、そうして自分自身を、自分が納得いく形にまとめつつ、

それに付属する武器や装飾なんかを具体的な手法やなんやらで付け加えていく、

あるいは、価値観を研ぐためにそういった道具たちを使うのもいいかもしれない。

というかきっと自然とそうなる。

 

価値観って複雑で、自分って複雑で、社会ももちろん複雑だけど、本当に大事なことは結構似通っていたりして、、、

 

そんなことを考えるツールとして、読書はした方がいいよね

バスマットの正解を教えてほしい

いまやバスマットといえば珪藻土なところがあると思いますが、どうでしょう?

私も珪藻土バスマット使っていましたが、今若干迷走気味です。

 

まずは私のバスマット遍歴からご紹介しましょう。

 

実家にいたときは…どうだったかな、忘れてしまいました。

が、実家にいたのはもう20年前。

当時珪藻土バスマットなんぞまだ世に出ていなかったので、

ノーマルな、ぺらっぺらのバスマットを使っていた気がします。

 

一人暮らしを始めて、当初は、実家での習慣を引き継いで、

ぺらぺらバスマットを使ってました。

 

そのうち、バスマットは不衛生だとかなんとかいう話をネットで見つけて、

「浴室内で足も拭いて出たらいんじゃね?」と、バスマットを排除しました。

特に不便なく、洗濯物も少なく済むし、ただでさえ狭い洗面所をバスマットで占めるのも邪魔だったので、

しばらくはバスマットなし生活をしていました。

 

一人暮らしなら、バスマットの最適解は「そもそも要らない」だと思います。

 

そのうち、”珪藻土バスマット最強説”が出てくるようになりました。

私も流行に乗って、ニトリ珪藻土バスマットを購入して使っていました。

 

これ、かなりよかったです。足裏さらさら。すぐ吸水・乾燥。

めっちゃいいじゃん…と使っていましたが、あるときふと、

「これしばらく使ってるけど、きれいなん…?」

と疑問が頭をよぎり、そこから常に気になるように。

 

珪藻土マットって、

「定期的に紙やすりで表面削って新鮮面だしたらきれいになるよ」

って言いますよね?

 

一応私も言われたとおり、やってみましたよ。

 

でもね、

 

 

これ、くそめんどくさくね??

 

 

絶対私だけじゃないですよね。

 

だってやすりかけるなんて、

時間かかるし粉出るし、

均一に全体かけなきゃ気持ち悪いし、

定期的にってどのくらいの頻度で?って話だし…。

 

なんだか考えれば考えるほど面倒になってきたので、

とりあえず捨てました。

 

ちなみに、捨てるのも面倒!

燃やせないゴミって捨てづらいですよねー。

 

 

このあたりから、子どもを風呂に入れることも考えたバスマットを検討する必要が出てきました。

吸水性や速乾性も必要ですが、それ以上に、”滑らないこと”が重要になります。

 

 

次に使い始めたのは、またもやニトリ珪藻土入りやわらかバスマット”です。

 

これ、結構よかったです。

まず、滑らないですし、吸水性や速乾性は珪藻土マットに比べると劣りますが、

私は十分に感じました。

 

そして捨てるのも簡単。丸めて小さくできる点がよい。

いや、捨てる話をしてる時点で…というのもありますが…

 

ネックは、結局清掃性です。

水で洗い流せるので、珪藻土マットのように削る手間はないのですが、

普通のバスマットなら、洗濯できますよね。

洗濯機に突っ込んどけばいいんですよね。

それに比べると……別で洗わなきゃいけないって…ちょっと…面倒かな…

 

いや面倒くさがりすぎでしょ!

って思いますよね。私も思います。

 

けど!

洗濯機に突っ込んで丸洗いできるなら、

それが一番楽だし、なんかすっごいきれいになる気がするじゃないですか!

 

 

ということで、ニトリのやわらかバスマットもさよならしまして、

ようやく現在です。

 

楽天市場のなんちゃらランキングで一位だった、

”やわらか珪藻土マット sumat”

を使ってます。

 

これはニトリ珪藻土入りやわらかバスマットとかなり似ていますが、

若干薄くて、吸水性も速乾性も小さいように感じます。

しかし、洗濯機ぶち込みOKなのです!

 

洗濯ネットに入れて洗濯機に入れるだけ。

ここが大きな違いです。

 

 

 

まあ、結局、吸水力が弱いので、sumatの上にバスタオルを乗せて使っているのですが…

 

今のところのバスマット評価基準として、

①吸水性

②速乾性

③清掃性

④摩擦性(上とそろえてみましたが、言葉合ってますか?)

の4つですね。

小さなお子さんがいなければ、④の摩擦性(滑りにくさ)はあまり考えなくてもいいかもしれません。

 

みなさんはどういった基準で、どういったバスマット、使っていますか?